おっさん、おやじになったら人生は終わりだと思っています。
それは年齢の事を言っているわけではありません。
僕が思うおっさんはこういう事です。
おっさんとは
この前、学生時代の友達と話していたら、
「いつも自由で、楽しそうでいいね。」
と言われました。
「毎日楽しくないの?」と聞くと
「小遣い制だし…。毎日決められた時間決められた場所で働くだけだし…。」
というような答えが返ってきました。
これこそが、僕が思うオッサン像です。
僕が思うおっさんの定義は自分で選択する事を放棄している、そんな状態です。
洋服を自分で買ってるか、なんて事もすごく大事だと思っています。
何も高い洋服の話をしているわけではありません。
靴下や下着やネクタイも奥さんに任せていませんか?と。
そんなにお金が掛かるものではないし、ユニクロにオシャレなものもいっぱいあります。
女性っていつまでも、今の自分に一番似合いそうなものを自分で選んで買いますよね。
でも男性ってそういう状態から遠ざかっていく人が多いと思うのです。
「買いたいけど洋服なんて小遣いの中で買えないよ。」
なんて言われるのですが、絶対に捻出していないだけ、だと思うのです。
そんな感情はあるくせに、惰性で吸ってるタバコは辞めるつもりがありません。
煙草を辞めれば、月1万円、洋服に使えるかもしれません。
自分が身に着けたいものすら「買っといて。」って人に委ねていませんか?と。
会社でも何も考えず言われた事だけやる状態。
言われた時間に出社して、言われた時間に帰る状態。
小遣いを増やす努力も、使い道の分配を考える事もしない状態。
そんな全てを人に委ねた人生など楽しくもないし、生き生きできるわけないし、そういう状態をおっさん、と思っています。
年齢じゃありません。性別でもありません。
自分で自分の道を選択している人はいつまでも若いです。
おっさんの口癖
そして、おっさんにもう一つ。
痛い口癖があります。
飲み屋に行けば、たくさん見つける事ができると思います。
それから周りにたくさんいる方もいるかもしれません。
「~さえあれば。」って人です。
お金さえあれば。
独身で自由さえあれば。
結婚さえすれば。
時間さえあれば。
出会いさえあれば。
若ささえあれば。
『~さえあれば』は便利ですね。
『~さえあれば』のせいにしとけば、自分のせいじゃないように振舞えます。
ただ、この『~さえあれば』のせいにするひとは、いざその~さえが手に入った所で、何も変わりません。
つぎの~さえを探してまだ足りてない、まだ足りてない、と言い続けます。
自分で選択を
でもそもそも順番が逆だと思うんです。
一番大事なのは本人です。
環境よりも本人の考えさえ変われば。
考えに合わせて環境が変わっていくと思っています。
お金や、時間や、自由があったら変わるのではなく、本人が変わるからそういったものが生まれだす、が本来の循環かと。
そんな事はない、とそれでも言われますが、そういう思考の停止もすべてひっくるめて「おっさん」になる、と呼んでいます。