渋滞の中でたった1台の車を入れる心を持ってるかどうかで、そもそも幸せになれるかが決まってる気がする

 

脇道から来た車を迎え入れるか

 

車で走ってたら

T字の交差点で

Tでいう所の、自分が下から来て、上の横棒に合流する時ってありますよね(説明の意味が分かりませんかね?)

そんな時、その横棒の列の車が混んでたとして、

自分が近づく前まで車間が空いてたのに

こっちが差し掛かった時にすっごい車間を詰めて、入れさせようとしない運転する人いるじゃないですか?

あれってすっごい小ちゃい事の割には、嫌な気分になりますよね。

で、こっちとしては

おお。すごいケチな人だなぁ、と

いったい、どんな人が運転してるのか、車の中を見るのですが、

もう固まってるんじゃないか、てくらい微動だに動かず、ハンドル握って前を凝視してる事が多いんですよね。

こっちを一切見ようともしない感じ、でしょうか。

だからきっと、向こうもどこかで申し訳ない、と思いながら意図的に車間を詰めたのは間違いないんじゃないかな、と思います。

すぐ信号も青になってじゃんじゃん車も流れれば良いですが、

大抵そういう時は信号も長く。

その状態で1分くらいとかお互いに固まる事になって。

その人からするとその1分って相当気まずいし、随分長く感じるんだろうな、と。

 

あの譲らない、という心境が僕、ぜんっぜん。わかんないんですよね。

たった一台くらい譲ったところで、そんなに損をするかなぁ?と。

もう本当の本当に1秒を争うような移動中であればまだ良いとして、

ほとんどの人がそんな事ないでしょうし。

あれは何なんでしょう。

自分は渋滞の中を一コマずつ進んできたのに、突然横からピュッと入られるのが嫌なんでしょうか?

なんか損した気分になるのかな?

 

どんどん譲って心の豊かな生活を送った方がいい

 

割と車の運転って性格が顕著に出てしまうと思うので、

ああいう譲らない運転をしている人、というのは

すごく勿体ない生き方をしているんじゃないかな、と思っています。

普段から、きっと小さなことでたくさん損をしているのではないかな、と。

車一つ譲らないだけで、多分なんかスッキリせず、

そのあとも、ちょっとずつケチな選択をし続け、

心のゆとりがない状態が続き、

いつもピリピリ、負の連鎖が続いちゃうんじゃないかな、と。

一台譲った時間のロスなんかより、

親切をした、という心の状態を作った方が

自然と笑えるし、

心に豊かさも生まれます。

小さい事かもしれないけど

そういう小さな事の積み重ねが

絶対本人の幸せにも繋がるんじゃないかな、て。

それに、

譲った側だけじゃなくて、

譲られた側も、

『ありがとうございます。』と

頭を下げながらクラクションを軽快に鳴らし、

(クラクションも鳴り方で怒ってるか、お礼言ってるか、なんとなく伝わるじゃないですか)

曲がり切った後にハザードをつけて、お礼を伝えきって、別々の道に進むと。

その後、どちらも、ちょっとだけいつもより良い気分で、また良い連鎖が続いて行くんじゃないかな、て。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です